何がしたいのかわからない(趣味も仕事も) 後編
投稿者: spielerei8707 投稿日:2014/02/09 23:06
さて、これで本題に入れるな。 俺が本来生活している世界で、俺は病気もちで無職という、気楽だが長続きしない状態に置かれている。 仕事に就こうにも、何がやりたいのか、何ができるのかがわからなくて、求人を絞り込むことができない。 ならば何でもやってみればいいじゃないかとも言われたのだが、具体的に何をするかで迷ってしまう。 どうしたらいいんだ? |
これは人間の心理的構造に関する問題であり、サイエンスゴーレムである私には解決不能の問題です。 よって、発言すべき内容は存在しません。 |
ほんと、しゅぴさんは優柔不断ですわね。 その優柔不断さを矯正するしか手はないと思いますわ。 |
ふむ。 アレイラさんの言うことは最終目標として当を得ていると思います。 ただ、問題はどのように優柔不断を矯正するかです。 優柔不断とは、ある特定の物事を選択し、ほかの物事を選択しないことによって発生するリスクを過大評価した結果、選択という行動の不能ないし遅延を引き起こしている状態をいいます。 今回のケースでは、しゅぴーれらいさんはある特定の求人に応募し、就職することでほかの職場を選べなくなるのを恐れすぎていると思われます。 もっと一般化して言うと、可能性をつぶすことを恐れているわけです。 例えば、生まれたばかりの赤ん坊は、数え切れないほどの可能性を持っています。 何かしらの才能を開花させる可能性、普通の大人になる可能性、すぐに死ぬ可能性。 一方、寝たきりの老人には、もうわずかな可能性しか残されていません。 両者、ともに何もできませんが、その理由は全く違います。 赤ん坊は、可能性が可能性であるままだから、何もできません。 何かできるということは、その何かができない可能性を持っていないということですから。 寝たきりの老人は、「何もできなくなる可能性」が現実のものとなってしまったから、そうなってしまったのです。 そう、生きるということは、自分が持っている可能性の中からいくつかを偶然、必然、はたまた自分の意思で選び取って現実のものとし、それらと矛盾する可能性を捨てていく、そういう作業なんです。 優柔不断な人は、選択を保留することで可能性を保存したつもりになっているんでしょうけど、自分が選択を保留するという選択をして可能性を無駄遣いしていることに気が付いていないのです。 少し思わせぶりな言い回しをすると、「生きることから逃げている」のです。逃げ切れるわけがないのに。 ……ふう、一気にしゃべったから、疲れました。 |
そういえば、しゅぴさんがプレイしていたゲームにもありましたわね。 「生きることから、逃げるな」って。 それが主人公唯一のボイス付きセリフだったりしましたわ。 |
それだけ、そのゲームの作者が重要だと考えていたということですね。 |
死亡する覚悟より、生存する覚悟が重要であると、私は博士に教育されました。 そうでなければ、私は作戦の成功を優先して自己犠牲的に行動していたと推察されます。 |
サクヤ、今だから言うけど、あれは君を生き残らせるための方便だったんだ。 今もだけど、あの時、私はどうしても君を失いたくなかった。 でも、あれが嘘だったというわけじゃないんだ。 妥当性があると私が思っている複数の真実のうちの一つを伝えた、それだけだ。 |
博士……。 これからも、ご教授よろしくお願いします。 私は、もっと多様な知識を博士から吸収することを希望します。 そう、博士から……。 |
げふんげふん! イチャイチャするときは、俺の目の届かないところでお願いできないか? 趣味に関しても、俺は何をすればいいのか迷っていたが、長巻君の言葉が答えのようだ。 みんな、ありがとう。 |
(それにしても、商用ゲームのキャラと名前が被るなんて、不運だなあ。) |
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